歩人庵の住まい徒然

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カテゴリ:ウズベキスタン( 18 )


2011年 02月 25日

ウズベキスタン・テルメズ・アフガニスタンとの国境

テルメズは、アムダリア川を介して
アフガニスタンと国境を接しています。
(※ダリアは、大河と言うような意味だそうでアム川が正しいのかも・・・)

国境近辺は、撮影禁止。
写真は、内緒で撮ったものも含んでいます。

取り敢えず、遺跡を管理している軍隊へお伺いに。
さすがウズベキスタン!
申請は、してあったようですが、「駄目デアル!」と・・・
しかし、いい加減なもんで、他の方法があるんだそうな。
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ソ連軍がアフガニスタンへ侵攻した時の残骸。
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水面がアムダリア川。
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アムダリア川河川敷に立つ警備の櫓。
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延々と続く有刺鉄線。
足跡が解り易いように綺麗に整地されている。
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by yamasyakuyaku | 2011-02-25 15:32 | ウズベキスタン | Comments(1)
2011年 02月 25日

ウズベキスタン・ブハラからテルメズへ(2)・道路沿の便所

テルメズへ向かう道路沿いの公衆便所です。

なかなか、スゴイです。

日本の公衆便所が
世界で際立って清潔であるとの説に納得してしまいます。

全景です。
左が男性、右が女性。
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「小」の方です。
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「大」の方です。
日本人には、少し無理かと・・・・
中国でもこんな感じの「大」を見かけました。
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by yamasyakuyaku | 2011-02-25 10:37 | ウズベキスタン | Comments(0)
2011年 02月 24日

ウズベキスタン・ブハラからテルメズへ・道路沿の風景

ウズベキスタン旅行へ行ってから
もう直ぐ、一年になろうとしています。

旅行記のようなものを
夏以来、中断していたのですが
一周年迄に完結させておこう、と思います。

ブハラを出て
車で、アフガニスタンとの国境の街、テルメズに向かいます。
テルメズでは
元国立民族博物館教授・加藤九祚(かとう きゅうぞう)先生が
仏教遺跡の発掘調査をされています。

今回の旅行の目的の一つが、加藤九祚先生を訪ねる事です。

ブハラを出てから
ずっと、だだっ広い平原を突っ走るだけです。
ソ連時代、自然を無視した灌漑によって開発したところが
地下から塩が噴出し、打ち捨てられています。
そんな荒地が延々と続いていました。

写真は
テルメズに近くなった峠付近のものです。

峠付近から見た茫漠たる風景。
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道路を横切る牛たち。
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旧い地層の断面が現れている山々。
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関所。アフガニスタンに近い事を感じさせます。
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日本の援助による鉄道。鉱物資源開発のものらしい。
一見して、日本人の工事だなあ、と思わせます。
細部がキチンとしてますからね・・・・!
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by yamasyakuyaku | 2011-02-24 16:26 | ウズベキスタン | Comments(3)
2010年 08月 29日

ウズベキスタン・ブハラ(12)ブハラの路地、人

ブハラの路地と人をちょっと・・・

お仕事中。
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ガス管とメーターが空中に・・・
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電柱を継いでる。
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煙突が路地に・・・
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化粧してない素顔の煉瓦が魅力的。
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我々が泊まった、なかなか立派なアジア・ブハラホテル。
タキ・バザールの直ぐ側にあります。
後で知ったのだが
我々をガイドしてくれたカッコイイお姉さんは
東京外大留学経験があり
父親はソ連時代のブハラ共産党書記長(本人は市長だと言ってたような・・・)
母親は、お医者さんという典型的エリート家族の娘さんだった。
将来は、外交官になるんだとか・・・
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by yamasyakuyaku | 2010-08-29 21:49 | ウズベキスタン | Comments(0)
2010年 08月 25日

ウズベキスタン・ブハラ(11)タキ・バザール

タキ・バザール

タキとは 『丸屋根』 の意味。
道路の交差点をドーム型の屋根で覆ったバザールで
観光用のお土産屋さんが商売していました。

以前は五つのタキがあったそうですが、現在では三つだけ残っています。
お土産に興味の無い私ですので
バザール内部の写真は、殆ど撮っておりませぬ。

タキ・ザルガランは、宝石商市場。
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タキ・サラファンは、両替屋。
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バザール内部。
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タキ内部見上。
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タキ・テルパクフルシャンは、帽子市場との事だが
写真、見当たらず・・・


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by yamasyakuyaku | 2010-08-25 13:39 | ウズベキスタン | Comments(0)
2010年 08月 23日

ウズベキスタン・ブハラ(10)ラビハウズ

ラビハウズ

ハウズとは石垣でキレイに四角く取り囲んだ「池」の意味との事。

ブハラは元々
200近くのハウズがあった水の都だったが
ソ連時代にほとんどが埋められてしまい
現存するハウズは6つだけだそうです。

ラビハウズは1620年に作られた46m×36mの大きさの池で
「力ずくのハウズ」と呼ばれていたそうだが
その由来は、以下。

アブドゥールアジス・ハーンの大臣のナディール・ディヴァンベギが
現在の場所に大きな池を作りたいと思って
地主のユダヤ人女性に土地を売ってくれるように頼んだが
彼女が断ったため、ナディール・ディヴァンベギは
彼女の家の下に運河を通させた。
すると運河の水が家を流し始めてしまい
彼女は家を泣く泣く手放さざるを得なかったそうな。

権力者が取る行動としては
メチャメチャまだるっこい気がしないでもないですけど・・・

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今現在、池の廻りは
喫茶店やレストランが取り囲み
市民の憩いの場となっている。
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Mulberry Treeとは桑の木の事。
500年以上前に植えられた古木。
サスガ、シルクロード。
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by yamasyakuyaku | 2010-08-23 16:55 | ウズベキスタン | Comments(0)
2010年 07月 31日

ウズベキスタン・ブハラ(9)ナディール・ディヴァンベギ・マドラサ

1622年にナディール・ディヴァンベギによって建設。

イスラム教では偶像礼拝を禁じられているはずなのに・・・
正面入口には・・・
不死鳥(鳳凰)が白い鹿(豚にしか見えない)を掴んで
人の顔をした太陽に向かって飛んでいるモザイク画が・・・

ウズベキスタン政府観光局の解説によれば

当初はキャラバンサライ(隊商宿)として建てられたが
建築現場を見に来たハーンが、マドラサ(神学校)と思い込み
敬虔な信仰心とマドラサの素晴らしさを賞賛。
褒められ過ぎて、どうすることもできずに
キャラバンサライからマドラサに変更したとか ・・・何かヨウワカラン。

今現在、中庭に面する部分は、お土産屋さんやチャイハウスみたいなもので構成されてます。

フジャ・ナスレッデイン像越しに正面入口を見る。
イスラムの神学者で一休さんのようにとんちで有名で
ブハラの人気者らしい・・・
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正面に近づく。
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更に近づく。
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ドーンとクローズアップ!
白い鹿を掴んだ鳳凰が、人の顔をした太陽に向かって・・・
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ブハラで一番大きいクカリダシュ・マドラサ(オマケです・・・)
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by yamasyakuyaku | 2010-07-31 01:25 | ウズベキスタン | Comments(2)
2010年 07月 28日

ウズベキスタン・ブハラ(8)ウルグベク・マドラサ

ティムールの孫のウルグベクが
1418年に建設した、中央アジアで、現存する最古のマドラサ。

ブハラでは唯一のウルグベクゆかりの建築物。

マドラサ入り口の扉には 

「向学心こそ、ムスリムになくてはならぬもの」
「信仰する人には、いつでも神の祝福の扉が開かれている」

と彫らているそうだが
全く知りまへんでした・・・
ガイドがそんな事教えてくれなかったような・・・
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広場からの遠景。
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入口正面。
ジーンズのカッコイイ後姿のオネイサンが東京外大出のガイドさん。
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中庭から入口を振り返る。
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土産物屋さんや倉庫に利用されている中庭の様子。
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ウルグベク・マドラサから見たアブドゥールアジス・ハーン・マドラサ(多分)
ネットで調べるとイスラムなのに花のモチーフがあるとか何とか・・・
朝からの移動見学で「モー・・エエワ・・」なる軟弱精神状態。
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by yamasyakuyaku | 2010-07-28 23:39 | ウズベキスタン | Comments(0)
2010年 07月 28日

ウズベキスタン・ブハラ(7)ミル・アラブ・マドラサ

カラーン・モスクの正面にあって、ポイ・カラン広場を構成。
両脇の青いドームが特徴的。

16世紀、シャイバニー・ハンの従兄であったウバイドゥ・ハーンが
戦争でとらえた捕虜を奴隷として売却した資金で
1535年~1536年に建設。

青と白のモザイクタイルに描かれた文様は
末期ティムール様式の装飾との事だが
どれが前期でどれが後期か、全く解りませぬ。

今も神学校として約100人の学生が勉強に励む。
イスラム法、コーラン、アラビア語などを勉強し
卒業後はイスラム教の教師になるそうな。
さらに勉強を望む学生はタシケントにあるタシケントイスラム大学へ進学。
1Fが教室、2Fは寄宿舎になっているこのマドラサは、見学不可。

一緒に行った大学の先生が
マドラサの先生らしき人に色々と質問されていたが
私には殆ど縁が無い話。

広場に面した美しいファサード。
ブルーのドームが美しい。
日本には、美しい青を指す言葉に「ペルーシャンブルー」が在ると言ったら
美しい女性のガイドさんは
「こっちが本家です」とキッパリ。
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マドラサの入口。
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マドラサの側面。
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見学不可の中庭を格子越しに見る。
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◆マドラサ
もともと、アラビア語で「学校、学ぶ場」を意味するそうですが
イスラム世界の高等教育機関の意味で使われている事もあるような・・・
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by yamasyakuyaku | 2010-07-28 01:35 | ウズベキスタン | Comments(0)
2010年 07月 26日

ウズベキスタン・ブハラ(6)カラーン・モスクとミナレット

「カラーン」とは、タジク語で「大きい」(偉大)と言う意味。

元々は12世紀にあったモスクで
13世紀チンギス・ハーンにより破壊(木造だったらしい)。
今残っているのは1514年建造のもの。

ソ連時代は、宗教禁止の為、倉庫となっていたが、独立後に再び礼拝する場として修復再開。
280本の柱と88つの小さいドームが特徴。
一度に12,000人が礼拝できるモスクだそうな。

広場中央の木は、桑の木で、地下水を引っ張る力があり
建物を傷めないためとの事。

一本の木でそんな力があるんやろか・・・

ミナレットは、1127年にカラーン・モスクの付属として
アルスラン・ハーンによって建てられたもの。
基底部分の直径は9m。上に昇るほど細くなり、上部の直径は6m。
内部には104段の螺旋状の階段があり、高さは45.6m。
塔身の壁面を14層に分け、レンガを異なる角度に積み上げることで装飾し
凸凹で表現されたデザインは、非常に美しい、が

塔の上から袋に入れて、落とされ、処刑されたので
「死の塔」の異名も・・・

塔に纏わる二つの伝説。

一つ目は、チンギス・ハーンがここを訪れた時
ミナレットを見上げた折、帽子を落してしまい、頭を下げて落ちた帽子を拾った為
「私に頭を下げさせた塔。このまま残しておこう」と言ったというもの。
おかげで、ミナレットと一緒に建てられたカラハニー族のモスクは破壊されたが、ミナレットは壊されなかったという。

二つ目は、イマンを殺したアルスラン・ハーンが、夢の中で出会ったイマンから
「私の頭をまたげない所に葬れ」と言われた為。
それ故、ハーンは、彼を埋めた上に
「カラーン・ミナレット」を建てたというもの。

ミナレットには、登りたかったなあ・・・
ガイドは、「登れません」と言ってたけど
帰って、調べたら、登れるジャン・・・
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アルク城から土産物屋が並ぶ通を散策しながら
カラーン・モスクに近づく。
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カラーン・モスクのミフラーブ (アラビア語 聖龕(せいがん)) 背面。
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ミル・アラブ・メドレセ(左)、ミナレット、カラーン・モスク(右)に囲まれたポイ・カラン広場。
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ミル・アラブ・メドレセからみたカラーン・モスク。
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中庭から見たモスク入口。
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整然として美しい柱廊。
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柱廊内部。
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中庭から見た桑の木、モスク入口、ミル・アラブ・メドレセのドーム、ミナレット。
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中庭壁面とミナレット。
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中庭の桑の木、ミフラーブ 、柱廊。
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ミフラーブ (アラビア語 聖龕(せいがん))がある建物部分正面。
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内部のミフラーブとミンバル(大きい説教壇)
メッカにある聖地カアバ神殿の方向に向いている。
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ミフラーブから見たミナレットとミル・アラブ・メドレセのドームを見る。
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ミフラーブから中庭越しにミル・アラブ・マドラサのドームを見る。
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ポイ・カラン広場に面したミル・アラブ・マドラサ正面。
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by yamasyakuyaku | 2010-07-26 02:46 | ウズベキスタン | Comments(1)